愛しの暮らし

子育て・犬育て・自分育て。暮らしのなかにある愛しいものを綴っています。

着なくなった「ブラウス」

暑い。暑すぎる。

まだ6月だというのに今日の気温は32度まで上がるという。

確かに外を見るとその日差しは既に痛そうで、まだ始まったばかりの今日という日をどう過ごそうかという思考すら奪われてしまう。

2歳の娘・こっちゅんと3歳のミニチュアダックスフントのアポロは当然ながら暑さに弱いので、その二人を守るためという口実でついついエアコンを早い時間からつけてしまうが、熱中症にならないためには仕方のないことだ。

ところで日本の夏がこんなに早く、長くなってしまったのは一体いつからなのだろうか。

子どもの頃に私が感じていた梅雨は少し肌寒かった。中学生になり制服を着用するようになると6月に衣替えを迎えたが、しばらくは「合服」と言って、ブラウスが主体の制服を来て通学した。そしてブラウスの袖をまくる日が増えてくると梅雨が明け、夏服へと完全移行するというのが季節の感じ方であった。

しかし今はどうだ。夏日と呼ばれる日が以前より早くやってくるようになったおかげで、合服であるブラウスの出番がほとんど無くなってしまったではないか。梅雨を少しでも楽しめるようにと、今流行のボリューム袖のブラウスを買ったというのに、結局一度も腕を通すことはなく、Tシャツ三昧の毎日だ。そして今日のこの暑さ。こっちゅんは服を着ることさえ拒み、キャミソールとおむつのままで過ごしている。

日本は美しく移ろう四季が魅力の国。しかしそれはまもなく過去形になろうとしているのかもしれない。桜と紅葉は愛でる間もなく一瞬で過ぎ去り、代わりに厳しい夏が長くなる。そんな日ももうすぐそこだろう。

しかしどんな暑さが待ち受けていても、私たちは日々を生きていく。暑い暑いと文句を言いながら、エアコンの効いた部屋に逃げ込み、キンキンに冷えたビールを飲む。その瞬間の幸福度は間違いなくMAXだ。

さて今日もそうやって暑さと戦って帰ってくる夫のために、冷や奴でも用意しておこうか。

 

 

「行動」を生む日々の筋トレ


最近ハマっていることがある。それはヨガと簡単な筋トレだ。

きっかけは娘のこっちゅんを抱っこするのがだんだんしんどくなってきたことだった。こっちゅんは2歳半。まだまだ抱っこをせがんでくる。でも彼女の体重は12キロ…お米の袋を抱きかかえて歩き回るには私に筋力がなさ過ぎる。

実はしばらく前から体重計とスマホを同期して、毎日の増減を記録するようになった。しかも最近の体重計はよくできていて、それに乗るだけで体重だけでなく皮下脂肪、骨量、筋肉量などもわかる。そのデータを見ながら、ずっと気になることがあった。私の筋肉量は標準より1キロも少ないのだ。

これはまずい。

高齢での出産だったため、まだまだ子育てには筋肉が必要だ。しかしこのままだと、こっちゅんを抱っこしてあげられなくなる。ふと気になって夫に筋肉量を尋ねると、予想通り夫も標準よりマイナス。そう、私たちはともに読書が趣味の文系夫婦なのだ。夫はずり落ちた眼鏡を人差し指であげながら

「でも筋トレっていうキャラじゃないしなあ」

と呟いている。

いやいや…キャラどうこうという場合ではない。かわいい子どもをまだまだ抱き上げてあげるためには筋肉をつけるしかないのだ!

そして私は決心した。体を鍛えようと。

それから毎日YouTubeを見て、固まりきった体をほぐすヨガと10分からのワークアウトをはじめてみた。最初は自分の体の硬さに愕然とし、プランクの1分が永遠かと思うほど長く感じられたが、終わってみると心地良い疲労感と体だけで無く頭もスッキリしている。

更に驚いたのは気持ちの変化だ。更年期が近い影響なのか、梅雨だからなのか、最近落ち込むことも多く、ふと不安になったり、ささいなことでくよくよと気にするようになっていた。しかし、ヨガと筋トレをはじめてからというもの、それが劇的に改善されたのだ。

これはどうしたことだろうか。

そう思ってスマホで調べてみると、こういうことがわかった。人間の脳は不安になると、その不安を解決するために何か行動を起こさなければと考えるらしい。しかし、不安が生まれたときに何かしらの行動、つまり体を動かすことをしなければ、脳は「考える」ことを行動と捉え、ぐるぐるぐるぐると頭をフル回転させ、不安について考え込み、どんどん思い詰めてしまう。特に夜、布団に入ったときなど、すぐに行動を起こすような状況ではないときに不安について考えはじめてしまうと、どんどん深みにハマってしまうというのだ。

なるほど、と私は合点がいった。毎日体を動かすことは行動を起こすことであり、行動したことが自分の自信や達成感につながる。それまでの私は家事と育児しかしていない毎日の暮らしに達成感が感じられず、悶々とした感情を抱えることが多かった。

ところがこうして体を動かすようになってから、料理も新しいメニューに挑戦してみようとか、ブログを書いてみようというという次なる行動につながっている。こういう自分は久し振りだし、我ながらとても好きな姿でもある。

張り切って購入したヨガレギンスには厳然と下っ腹が乗っかるが、いつかこいつを無くしてやるというささやかな目標もできた。愛するこっちゅんをしっかり受け止めるために、母は強くなる。気持ちも体も。筋肉は裏切らない、だ。

 

 

 

梅と勇気と好奇心


部屋中に良い香りが広がる。

梅雨が近くなるとジメジメするし、大好きな星を見上げることもできなくなるけど、基本的に私は雨が好き。それは以前このブログでも書いたことだが、雨の音を聞いていると心が落ち着き、静けさを感じるからだ。

そんな梅雨の季節になると楽しみにしていることがある。それは「梅仕事」だ。

日頃は家事育児に追われている私も、梅仕事をしているときは何となく「丁寧な暮らし」を楽しんでいる気分になれる。丁寧に梅を洗い、丁寧に拭き、丁寧にへたを取り…そして作るのは家族みんなから毎年強力な指示を集めている梅シロップ。これさえあればどんなジメジメした日も、暑くて体力が奪われる日も乗り越えることができるわが家にとっての必需品。もはやこれがない夏など考えられない。

今日はその梅シロップを作るために凍らせた梅と氷砂糖を交互に瓶に詰める作業をしている。2歳半の娘はその様子がおもしろいようで、「こっちゅんもやる!」と梅に手を伸ばしては、その冷たさに驚いていちいち楽しそうだ。

「まま、冷たいね」

「まま、かたいね」

そんな感じたままの感想を言葉にするこっちゅん。

たかだかまだ2年半しかこの地球で過ごしていないこっちゅんにとって、何もかもが新鮮で、何もかもが楽しくてたまらないのだ。

そう考えるとちょっとうらやましい気持ちになった。

とは言え、私は地球のことをどれくらい知っているのか。40年生きてきたけど、行ったことのある場所を数えるほうが圧倒的に楽だし、大した経験もない。今は日常に埋没しているだけで、知らないこと、未経験のことなんてガンジス川のほとりの砂粒ほどにあるはずだ。

新しいことに挑戦するというのはいつだって少しだけ勇気がいる。

その勇気をだすかださないかは、それに対しての好奇心の大きさが決め手となる。

自分の中に生まれた好奇心の芽。それを自分で摘み取ることはとてもたやすい。しかし、その芽を育てていくと、まだ自分も知らない自分に出会えるかもしれない。

いくつになっても好奇心の芽を育てられる人でありたい。ところで今、私が気になっていることは一体なんだろう。

梅の香りに包まれて、ぼんやり思索する。そんな雨の日の昼下がりもいいものだ。

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辻仁成さんの文章教室


Design Storiesというサイトを知っているという方も多いだろう。

www.designstoriesinc.com

 

芥川賞作家の辻仁成さんが主催しているこのサイト。毎日更新されており、ヨーロッパの最新情報や辻さんが日々の暮らしの中で感じる子育て、犬育てなどについて綴られているブログだ。私は「育児」を検索しているときにこのサイトに出会い、それからというもの、面白すぎて毎日欠かさずに読んでいる。

辻さんはとても多彩で話が面白く、その文章にはついつい引き込まれる。ニヤッとしたり、考えさせられたり、ちょっと切なくなったり。毎日読んでいても決して飽きることがないどころか、読む度にそこに登場してくる辻さんの知り合いがあたかも自分の知り合いかのように感じられ、親近感がわいてくる。

そんな辻さんがエッセイの書き方についての文章教室をオンラインで開催するという情報を目にした私は、芥川賞作家の話を聞いてみたいとの興味本位から参加してみることにした。しかも希望者はテーマに沿った1500字程度のエッセイを書いて提出すると、全て辻さんが読んでくれるという。こんな貴重な機会はない!色めき立った私はその時のテーマだった「最近買ったもの」について書き提出をした。

そして待ちに待ったオンライン文章教室の日。辻さんは参加者が提出したものの中から3つのエッセイを紹介しながらコメントを加えていく。その内容は伏せるが、文章を書くことが好きな私としては、一言も聞き逃せないほど為になる内容で、あっという間のひとときだった。

辻さんが私の文章にアドバイスしてくれるかもしれない!

そう思うといても立ってもいられない。その日早速発表された次なるテーマ「人生最大の失敗」について頭の中であれこれ巡らすことにした。

人生最大の失敗は多々ある。その中でも私が忘れられない失敗は高校時代に大好きな先生の前でcareerの発音を思いっきり「カレー」と言ったものだった。その瞬間、クラス中の笑い声が爆発し、私のあだ名は「カレー子」になった。それは人生最大というほどのものではなく、ほかから見れば大したことのない失敗だが、私の中には恋愛感情も織り交ざり、何年経ってもどうしてあんなことを言ってしまったのか(冷静になれば答えはわかっていたのに)という苦々しい思い出と体中が火照るような恥ずかしさがカレーの香りを嗅ぐだけでありありと思い出されてしまうのだ。

私は失敗としては弱いけれどもこのテーマで書いてみようと思った。

そして文章教室の前日、参加者宛の連絡の中に、私が書いたエッセイが参考作品として入っていた!!!

誤解することがないように書いておくが、それは決して優秀だからというわけではなく、あくまでも「参考」のための作品だ。けれど、そこに選ばれた以上は私の作品を扱ってくれるということ。辻さんが直接アドバイスをくれる!私はうれしくてうれしくて、一人でガッツポーズをした。

しかしハッピーな気持ちはここまでだった。

今回は「合評」というシステムで参考作品について参加者が批評を加えていくシステムがとられた。すると出るわ出るわ、厳しいご意見が。私は脇にじっとりと汗をかきながら、耳を塞ぎたい、いやチャットなので目を閉じたいような気持ちになった。時折好評はあるものの、自分に刺さるのは厳しいものばかり。でもどれも否定できないもので、自分としても反省すべき点が多かった。

天国から地獄へ落とされたような気持ちになりながらも、私は2つのことに気付いた。

文章を書くということは覚悟がいるということ。

それは批評される覚悟であり、自分の心の内までさらけ出す覚悟。

そしてもうひとつは、上達するためにはそれでも書き続けなければいけないということだ。

私にはその覚悟があるのか。こういったブログでも少なくとも私の文章を読んでくれる人がいる。その人たちに自分の中にあるものを全て見せていけるのか。どこか模範的な人間でありたいと思っ生きてきた自分の仮面を剥ぐことができるのか。

しかしそこに今から挑戦していかねばと思っている。

覚悟と勇気。そして書くということから逃げずに、行けるところまで。

 

 

 

週に3時間の癒やし

絶賛イヤイヤ期の娘・こっちゅん。

最近、週に1回だけ、しかも午前中の3時間のみという幼稚園のコースに行き始めた。入園初日の様子を先生に聞くと「前から通っているような子の貫禄で遊んでいた」と言うから頼もしい。

思えばこっちゅん、生まれたときから大臣のような風格でベビーベッドに寝転がり、バウンサーに揺られていた。肝が据わっているタイプというかなんというか、動物に対してもすぐ手を出すし、少し人見知りはするものの、なじんでくれば自分の持っているおもちゃをどんどんプレゼントするような気前の良さも持っている。

そんなこっちゅんのぽこんとしたおなかも、上を向いて爆笑する姿も親としてはかわいくてたまらないのだが、イヤイヤが発動するととてつもなくしんどい。おむつ替えもイヤ、おでかけもイヤ、ごはんもイヤ、なのにお菓子は食べる…という有様でまったくこちらが振り回されてしまうのだ。しかもわが家は転勤族。誰かに子どもを預けたくてもなかなかそうはいかない。つまり、こっちゅんが起きてから寝るまで、私たちはずっと一緒。となると先に音を上げるのは当然ながら私のほうだ。

だからたった3時間でも登園日が待ち遠しい。その日は私が「やっと自由を手に入れたぞ!!」と大声で叫びガッツポーズができる唯一の日だからだ。

一人でスーパーに行ける!

Tシャツを引っ張られずに料理ができる!

おもちゃの電子音が鳴らない静かな時間を過ごせる!

そんな些細なことが素晴らしく、歓びに心が沸き立つ。毎日眺めている庭の木の葉さえ、いつも以上に輝いているような気がして私は思わず目を細める。いつもなら両目を大きく開いて隈なく見ておかないと、こっちゅんが何をするかわからない。油断も隙もないのだ。

嗚呼、そんな癒やしの3時間が明日!明日やってくる!!

何をしようかな。

日頃は妻と母をがんばっているからこそ、この3時間は自分のためだけに使ってやる!

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朝夕の家族散歩


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毎日、朝と夕方の2回、家族全員でお散歩をするのが日課だ。

 

子どもを乗せたベビーカーは夫が押し、私はアポロのリードを引く。夫が仕事で遅くなる時以外はこのスタイルだ。

 

これがけっこうわが家には合っている。

 

私も夫もどちらかと言えば朝が苦手だ。でもアポロを家族に迎えてからは散歩をしないといけないので、早起きしようと決意した。はじめは私だけが散歩に連れて行っていたが、夫もいつまでも寝ているというのはどうも気が引けるらしく、ある時から一緒に起きて行くようになった。そのスタイルに子どもが加わり、結果的に家族全員で歩いているというわけだ。

 

散歩の時間は40分程度だが、歩きながら四季の移ろいを感じたり、子どもが思わぬものに興味をしめしたりといろんな発見がある。みんなであれこれと話しをしながら歩くのはとても楽しく、癒やしの時間だ。

 

できれば子どもが大きくなってからも、この習慣は続けていきたい。テレビやスマホと距離を置いて自然を感じたり、会話を楽しんだりする時間は心が豊かになるような気がするからだ。

 

朝も夕も涼しくなり、お散歩にちょうどいい季節になった。おかげでこれまでより長く歩けそうだ。

 

近所にあるいちょうの木がいつ紅葉をはじめるか楽しみに観察しながら、明日もみんなでゆっくりお散歩を楽しもう。

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海の見える風景


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家から15分ほど車を走らせると、海が見える。

そこにある公園は、アポロもお気に入りのお散歩場所だ。

 

今日はとても天気が良かったので、車を走らせてその海辺の公園まで行ってみた。

潮の香り。

どこまでも続く青い空と海。

あまりに爽やかな風景がまぶしくて思わず目を細めた。

 

幼い子どもと犬をつれていると、よく話しかけられる。今日も年配のご夫婦に「あら、どっちもかわいい!」と声をかけられた。

 

「私たちも犬を飼ってたんですよ。でももう年齢的に飼えなくて。犬をひとりぼっちにしたらかわいそうだから…」

そういうとご主人はしゃがんで、アポロのお尻あたりを優しく触った。

「わんちゃんも子どもさんもいてママは大変だろうけど、二人は幸せそうな顔をしてるわねえ。ママとお散歩できるのが嬉しいのね。」

奥様はニッコリと笑って「じゃあまたね」と子どもにもアポロにも手を振り、その手を当たり前のようにご主人の腕に絡めてお二人は去っていった。

 

腕を組み、時折見つめ合いながら歩く後ろ姿のあまりのステキさに、私はしばらく見とれていた。

 

お二人の間に流れる穏やかな雰囲気。こんな風に歳を重ねたいと思わずにはいられなかった。

 

深く信頼しあい、いろんなことを対話で乗り越えてきたに違いない。勝手な想像だが、苦も楽も分かちあってきた「深み」のようなものを感じた。

 

私は生涯を共にする相手を選ぶ際、唯一大切にしたことがある。それは「生涯対話できる相手」かどうかという点だ。

 

生活がはじまれば綺麗事ではすまされない。子どものこと、お金のこと、仕事のことなど、例え行き詰まったとしても「対話」が滞らなければ解決の糸口は必ず見える。そう信じて今の夫と結婚した。今のところ私のその思いは間違っていなかったように思う。

 

今日の私が暮らしの中で見つけた「幸せな光景」。それは腕を組んで歩く姿があまりにステキなご夫婦。

 

何年後かわからないが、私たちもそうなりたいと思うほど、お二人のあいだには信頼と穏やかさが漂っていた。