愛しの暮らし

子育て・犬育て・自分育て。暮らしのなかにある愛しいものを綴っています。

大人の習い事

好奇心旺盛の私。常に何かやりたいことや勉強したいことが心の中にある。

こっちゅんが生まれる前は、気になることが生まれる度に本を読んだり、フィールドワークにいそしんだりした。

例えば歴史。もともと歴史が好きなのだが、維新150年を迎えたときは明治維新に関わった西郷隆盛たちを育んだ鹿児島の「郷中教育」について知りたくなり、お金を貯めて何度か単身鹿児島へ行き、図書館や史跡を巡ったり、郷土史家の話を聞いたりした。それを自分なりにまとめ、同じく歴史が好きな夫相手にプレゼンしたり、地元紙に投稿したりと学べる楽しさを日々感じていた。

しかし子育てが始まると、子育て以外何もできないくらい育児に翻弄される。

こっちゅんも元気いっぱいで全く目が離せない。ブログを書くのもこっちゅんが眠っているほんの短い時間しかない。

とはいえ、何かしていないと私の心は干からびてしまいそうだ。

そこで思いついたのが、以前もブログに書いたヨガと「お茶」だ。

お茶は高校時代に部活として学んだことがあった。もっとも吹奏楽部と生徒会をやっていたので、週に1回だけの参加。「お菓子が食べられるから」という廃部寸前の茶道部員からの誘いにのったのだった。

たった週に1回の参加。とはいえ茶室に漂う静かで張り詰めた空気に惹かれ、大人になってからも自分で安い茶道具を購入し、お茶を点てて楽しんでいた。こっちゅんが生まれてからはずっとしまっていたが、テレビでやっていた抹茶の特集を見て、またお茶を点てたくなった。

今は便利な世の中である。

スマホで検索すれば、お茶の点て方や楽しみ方を動画で見ることができるのだ。

そうそう、こういう手順だった…

そう思いながら、思い出すのは私に作法を教えてくれた先生の声だった。姿勢や目線、手の置き方など、決して動画ではわからない細かいところまで指導してくれた。その時は耳が痛いばかりだったが、今となっては注意されたことほどよく思い出す。

今はコロナ禍でもあり、近くにお茶の教室が見当たらないので断念しているが、願わくばまたどなたか師匠についてお茶を学び直したい。みずみずしい高校生の頃と違った感性で、お茶に向き合える気がするから。という理由とともに、叱られる事が無くなって生まれたであろう自分の心にある慢心を廃したいような気もしている。

大人の習い事は生きがいであるとともに、謙虚に学び続ける姿勢を身につけることでもある。いつの間にか凝り固まってしまった自分の心に新しい風を入れ、常に新鮮な自分を作る。それが人として輝き続けられる要因なのかもしれない。

 

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地獄のトイトレ

暑くなってきたのでいよいよ開始しようと決意したことがある。こっちゅんのトイレトレーニング、略してトイトレだ。

こっちゅんは朝起きてすぐにトイレに連れて行くと、すぐにチッチをしてくれるようになったので、「時が来たり!」と今週の月曜日からおむつをトレーニングパンツに履き替えチャレンジを開始した。

選んだパンツは大好きなスヌーピーのパンツ。トイトレは地獄と聞いていたので、お互いにテンションが上がるように選んだものだ。

「こっちゅん、今日からスヌーピーのパンツを履いてみようか!」

「うん!こっちゅん、すぬーぴーにする!」

嬉しそうにパンツを手にし、履き始めたこっちゅん。朝のチッチの時間をチェックし、1時間後にもう一度トイレに誘って見ることにした。

そして迎えた1時間後。こっちゅんにトイレを促すと、嫌がることもなく、スッと行ってくれ、驚いたことにチッチに成功!わが子はもしかしたらチッチの天才かもしれないと狂喜乱舞する私。

「やったね、こっちゅん!出たね!」

「うん!でた!!」

笑顔いっぱいでハイタッチする私とこっちゅん。しかし喜びはここまでだった。

「こっちゅん、トイレ行こうか」

同じく1時間後にトイレに誘った私。ところがこっちゅんはまだ出ないと言う。じゃあまあいっか、さっきもしたし5分後にもう一度誘ってみようと家事に戻る。ところがその2分後…

「うわあ~!ままあ!!ままあ!!!」

叫ぶこっちゅんの声に慌てて振り向くと、こっちゅんの足下に水たまりが…

「あんよがあ~あんよがぬれたあああ!」

滝のごとく流れるチッチに半泣きになるこっちゅん。

「あ~…こっちゅん、さっきトイレに行けば良かったね。次はトイレでできたらいいね」

失敗したか…とがっかりする気持ちを抑えながら、私はネットで見たとおり、声を荒らげること無く、極めて優しく振る舞った。

しかしそれが2度、3度、4度と繰り返すうちにクッションやらラグやら洗濯機に入れないくらい染みつきのものが増え、何度も何度も床の掃除を繰り返していくうちに、ついに私は耐えきれなくなった。失敗したこっちゅんに

「また失敗しちゃったの?!」

「なんでわからないの!チッチはお部屋でしないって言ったでしょ!」

「こっちゅんもさっきわかったって言ってたじゃん!」

「ママが何度もお掃除すると、こっちゅんと遊ぶ時間も無くなるんだよ!」

言ってもわからない…と頭のどこかでわかっているのだが、こっちゅんを立て続けて責めてしまった。

トイレトレーニングって、本当に地獄…

なんで私は一日中、チッチの後片付けばかりやらなきゃいけないの…

ほかにもやりたいことはいっぱいあるのに何で私だけ…

心の中に灰色の感情がむくむくとわき起こり続け、止まらない。泣きながら丸まって眠ってしまったこっちゅんを見てもイライラはおさまらなかった。

何もする気が起きずソファーに座った私は、手に持ったスマホで「トイトレ 地獄」と検索してみた。今私が抱えている気持ちと同じものを抱いている誰かと共感したかったのだ。

私はさんざん育児の大変さを綴った多くの人の言葉を読み、少しずつ平静を取り戻していった。そして最後に開いたのが「育児に疲れたお母さんに贈る詩」と書かれた文章だった。

ママの毎日

独身の頃
 
ヒールの靴が好きだった
お酒は苦手だったけれど友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった
 
好きな音楽はミスチルでいつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた
電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった
 
お風呂では半身浴をして
美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていた
 
お化粧するのも好きだった
1人で行く映画館が好きだった
 
流行りの雑誌を買い
流行りの曲を聴き
流行りの服を着て
流行りの場所へ好きな時に出かけた。

そんな私は 今
 
 
泥だらけのスニーカーを履き
 
子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけ
 
ちゃんとした化粧もせずに
 
髪を一つにくくり
 
毎日
子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。
 
 
 
聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。
 
 
眺めているのはファッション雑誌から
子どもの母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。

考えていることは
今日の夕飯のメニューと
長女が幼稚園から帰ってきたあとのおやつ、お風呂、夕飯の流れの確認。
 
今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと
明日の長女の遠足が晴れるかどうか。
 
最近眠くなると激しくぐずる長男を昨日つい怒ってしまったから
今日は早く寝かせてあげよう。
今日は怒らないでおやすみをしよう。
 
そんなこと。

毎日 押し流されるように迫ってくる日常があるから
 
キレイに片付いた部屋も
大の字で朝まで眠れる夜も
ゆっくり塗れるマスカラも
 
なんだかもう思い出せない。
 
 
 
そう。
 
 
 
思い出せないから
 
私たちは つい 忘れてしまうのだ。

この毎日が
 
ずっと続かないということを。

1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら
 
 
湯船の中 あなたと向き合い数を数え
 
柔らかく響いたあなたの声を
 
 
私は思い出すのでしょう

1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら
 
 
どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを
 
私は探すのでしょう

好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら
 
 
この部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して
 
私は泣くのでしょう

好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら
 
 
私の洋服をひっぱり
膝の上によじ登り
私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して
 
私は泣くのでしょう

好きなだけヒールが履けるようになったら
 
 
笑い転げるあなたを追いかけて走り回り
泥だらけになって遊んだあの空を思い出して
 
私は泣くのでしょう

自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら
 
 
砂まみれの靴下も
おしっこを失敗したズボンも
牛乳をひっくり返したシャツも
 
洗濯カゴにないことを知って
 
 
私は泣くのでしょう

あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら
 
 
粉々になったビスケットの食べこぼしも
小さなおもちゃの部品も
あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り
 
 
私は泣くのでしょう

1人で好きなことを
好きな時に
好きなだけ出来るようになったら
 
 
どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び
 
どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して
 
 
私は泣くのでしょう

一体いつまであるのかな
 
 
一体 いつまでここにいてくれるのかな
 
 
そして
 
そんなことを考えているうちに
 
 
 
また 今日も終わってしまった。

私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから
 
子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて
 
好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど

でも 自分の人生を考えてみたら
 
 
特別なのは
 
 
本当は 子どもが側に生きているこの毎日の方。

でも 私たちはそれを忘れてしまう。

なんだか ずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど
 
 
 
大変に思えるこの毎日に
 
数えきれない 愛しい が散りばめられていることを
 
私たちは いつか知るのです。

子どもたちが
 
この世に生まれてから今日まで
 
ママとパパのために
全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに
 
私たちは 過ぎてから気付くのです。

ママの毎日は
 
ママでいられる毎日です。

 
 
私たちは この命が尽きるまで
 
どんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、愛し続ける 子どもたちの母親だけれど
 
 
でも 子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日の
 
なんて短いことかを
 
 
いつか思い知るのでしょう。

今日もあなたは
 
屈託のない笑顔で振り向き
 
「ママ!」と言って
 
両手を広げて こちらに飛び込んでくる。

忘れるものか。
 
 
絶対に。
 
絶対に。

あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。
 
あなたを怒って自分に涙が出た今日を。
 
あなたの寝相に笑った夜を。
 
あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。
 
 
あなたに許された私を。
 
あなたがいてくれるこの毎日を。

私は 絶対に忘れない。

ミスチルも好きだけど
 
Eテレの歌に感動することを知った
 
 
ヒールも好きだけど
 
スニーカーの安心感が好きになった

自分のことが一番大切だった
 
 
そんな私に
 
自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた子どもたちに  
 
 
 
 
心から 感謝を。

 

 

号泣した。

そもそもこんなに涙を流すことすら久し振りかもしれないと思いながら、涙が溢れる度に自分の中にあった灰色の気持ちが洗い流されていくようだった。

「こっちゅん、ママが悪かったね。ごめんね…」

そもそもトイトレを始めたのは、上手くトイレに行けるようになったというお友だちの話を聞いたからだった。こっちゅんにも早くできるようにさせてあげなきゃと私はどこかで焦っていたのだ。それは本当にこっちゅんのためだったのか、それとも「できていない親」と思われたくなかったのか。

目を覚ましたこっちゅんに近づくとそっとこっちゅんを抱きしめて謝った。

「こっちゅん、強く言ってごめんね。ママが悪かったね。チッチができるようにゆっくりがんばろうね」

そう言うとこっちゅんは、小さな手を伸ばして、私の背中を優しく「とん、とん、とん」としてくれた。まるで私を許すかのように、そして安心させるかのように。

「育児」は「育自」とはよく言ったものだ。

変わるべきは私の心だと教えられたような出来事だった。

「こっちゅん、どっちのパンツをはきたい?」

スヌーピーの別のパンツと白い紙おむつを持ちこっちゅんに選ばせると、しばらく「うーん」と考えてこっちゅんは答えた。

「まだこっち!」

「そうだよね、やっぱり」

苦笑いをして、私は紙おむつをはくこっちゅんの安心した表情を見つめた。

 

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忠犬?アポロのお出迎え

うちのアポロは甘えん坊だ。

そんな風に育ててしまったのは私たちなのだが、子犬の頃から夫と私と並んで散歩に出かけ、こっちゅんが生まれたら抱っこひもで、そして歩くようになったら手をつないで家族全員で散歩に出かけるのが基本的な生活スタイルとなった。

夫の仕事も忙しいので、毎日全員で行くわけには行かないのだが、一人でも欠けるとアポロは玄関先で必ずドアのほうを振り向いて「ぱぱがいませんけど」と言いたげな表情をして私を見上げる。

「今日はお仕事なのよ。だからこっちゅんと3人で行こうね」

私がそう言うと、ちょっとつまらなそうな顔をして歩き出す。

犬ってこんなにもさみしがり屋なのかと知ったのは、アポロを飼い始めてからだ。子どもの頃から実家には犬がいたが、大人になってから迎えたのはアポロが初めてだった。

トイレのしつけに四苦八苦し、アポロがおしっこやうんちをした時間を記録しながら追いかけ回していたことがついこの間のことのように感じる。ちなみに今は間違いなくトイレでしてくれる…というより家のトイレでしかしてくれないため、遠出の時のために外でできる練習をしているほどだ。

さみしがり屋のアポロがいるので、外出しても自然と帰宅はこれまでよりも早くなった。こっちゅんと外で遊んでいても

「アポロ、お家でさみしがってないかな」

と言うのが帰宅のサインとなった。

わが家はリビングの窓から玄関が見えるのだが、帰宅して門扉を開けると、その音が合図のようにカーテンの間からアポロが顔を覗かせる。興奮させないようにそっと入っても、アポロの尻尾はいつも180度以上ブンブンだ。玄関のカギを回す頃にはもう軽快な足音が聞こえてくる。そしてドアを開けると当然のようにかわいいアポロが嬉しそうな表情を浮かべて目の前に座っている。

犬の寿命は15年程度だと聞く。永遠にアポロがいてくれるわけではないからこそ、今一緒に過ごせる時間を大切にしたい。だから本当はお留守番などさせず、どこにでも一緒に行きたい。

でもそういうわけにもいかないので、せめてお留守番の時間をアポロが楽しめるようにと今日も出かける前にせっせと私は小道具を準備した。布や段ボールでノーズワークができるように工夫し、クレートにもお気に入りのおもちゃをそっと忍ばせてから静かに玄関を出る。そして用事を急いで済ませると窓辺で帰りを待ってくれているアポロを想いながら一目散に帰宅した。

「それじゃあどっちが分離不安なのかわからないね」

夫は笑いながらそう言ったが、私はハッとした。思いたる節は…うん、いっぱいある。

ということはさみしがり屋なのはアポロではなく、私のほうなのかも。

アポロは「さみしがり屋のままをちゃんとお迎えしてあげなくちゃ!」という使命感でカーテンのあいだから顔を出しているのかもしれない。アポロはわが家の忠犬なので、玄関から嬉しそうに飛び込んでくる主を全力で迎えてくれているのだ。

 

 

美容師こっちゅん


ささいなことでも自分が心動かされたことや感じたことを文にしていきたい。

そう思って始めたブログだが、むしろ最近、その逆だったことに気付かされた。

専業主婦である私は、一日中娘のこっちゅんと犬のアポロと一緒に過ごしている。夫は仕事で帰りが22時になることもあり、下手をすると言語の通じる人と会話しないまま一日が終わることもある。

こっちゅんもアポロも本当にかわいい。でも思いのままに振る舞う二人を前にしていると、どんどん自分の感情が「無」に近づいてしまうようになった。「無」の気持ちでないととても冷静に対応することができなくなってしまったのだ。

これでは自分もダメになるかもしれない。

そう感じた私は、もともと書くことが好きだったこともありこうしてブログを始めた。すると、心が動き始めたのだ。これまでは見逃していた青々と輝く葉の美しさや、小さい手のひらで私の背中をとんとんとしてくれるこっちゅんのかわいらしさ。ぴたっとおしりをくっつけてくれるアポロの体温。私には書きたいことがこんなにもあるのかと驚いた。

書こうと決めたからこそ心が動き出す。

日々の暮らしには、今しか切り取ることができない一瞬一瞬があるのだ。

 

今日はふと思い立ってこっちゅんと髪を切りに行った。

まだまだ美容室に慣れないこっちゅんは、切ってもらう間中カッチンコッチンに固まっていた。嫌がるでもなく、あばれるでもなく固まりきっている。

「こっちゅん、かわいくしてもらってるよ」

カット中に私が声をかけると、無言のままじろりと目玉だけを動かして私を見て、再び視線を鏡に戻す。自分の髪が切られている様子をじっと見つめていた。

その後、私もカットしてもらい帰宅すると、こっちゅんが

「まま、ここにいれてたよね」

と自分のおもちゃが入った引き出しをあさっている。何を探しているのと訪ねたらナイショと答えた。

それじゃあ探してあげようが無いじゃん…と思いながら昼食の片付けをしていると、

「あった!」

と嬉しそうにおもちゃの黄色いはさみを手にしている。

あー、美容師ごっごをしたいのかな、と思いながら見つめていると、はさみをアポロの毛に当て始めた。

「うごかないでねー。こっちゅんがきってあげるからねー」

のんびりとソファーで過ごしていたアポロは迷惑そうに顔をあげ、困り顔を私に向けた。

「こっちゅん、アポロはねんねしてたんだからかわいそうだよ」

そう私が言うと、こっちゅんは思いがけないことを言った。

「だってこっちゅんとままとアポロはいつもいっしょでしょ。こっちゅんとままはきったんだからアポロもきってあげないとかなしいよ。いっしょじゃないと」

アポロが自分だけ美容室に行けなかったことを悲しんでいるとこっちゅんは思ったようだ。これはいつも私が「ママとこっちゅんとアポロはいつも一緒」と言っているからだろうか。でも一人でお留守番をしていたアポロの気持ちを汲んであげるこっちゅんの優しさに私はキュンとなった。いつのまにアポロを思いやる気持ちを身につけたんだろう。

その後、はさみにおびえたアポロがクレートに隠れてしまったので、こっちゅんの思いは果たせなかった。クレートの前ではさみを手に「あぽー、ででおいでー」と立ち塞がるこっちゅん。思い通りにならないことは多いが、心はまた一歩成長したようだ。

 

 

 

 

着なくなった「ブラウス」

暑い。暑すぎる。

まだ6月だというのに今日の気温は32度まで上がるという。

確かに外を見るとその日差しは既に痛そうで、まだ始まったばかりの今日という日をどう過ごそうかという思考すら奪われてしまう。

2歳の娘・こっちゅんと3歳のミニチュアダックスフントのアポロは当然ながら暑さに弱いので、その二人を守るためという口実でついついエアコンを早い時間からつけてしまうが、熱中症にならないためには仕方のないことだ。

ところで日本の夏がこんなに早く、長くなってしまったのは一体いつからなのだろうか。

子どもの頃に私が感じていた梅雨は少し肌寒かった。中学生になり制服を着用するようになると6月に衣替えを迎えたが、しばらくは「合服」と言って、ブラウスが主体の制服を来て通学した。そしてブラウスの袖をまくる日が増えてくると梅雨が明け、夏服へと完全移行するというのが季節の感じ方であった。

しかし今はどうだ。夏日と呼ばれる日が以前より早くやってくるようになったおかげで、合服であるブラウスの出番がほとんど無くなってしまったではないか。梅雨を少しでも楽しめるようにと、今流行のボリューム袖のブラウスを買ったというのに、結局一度も腕を通すことはなく、Tシャツ三昧の毎日だ。そして今日のこの暑さ。こっちゅんは服を着ることさえ拒み、キャミソールとおむつのままで過ごしている。

日本は美しく移ろう四季が魅力の国。しかしそれはまもなく過去形になろうとしているのかもしれない。桜と紅葉は愛でる間もなく一瞬で過ぎ去り、代わりに厳しい夏が長くなる。そんな日ももうすぐそこだろう。

しかしどんな暑さが待ち受けていても、私たちは日々を生きていく。暑い暑いと文句を言いながら、エアコンの効いた部屋に逃げ込み、キンキンに冷えたビールを飲む。その瞬間の幸福度は間違いなくMAXだ。

さて今日もそうやって暑さと戦って帰ってくる夫のために、冷や奴でも用意しておこうか。

 

 

「行動」を生む日々の筋トレ


最近ハマっていることがある。それはヨガと簡単な筋トレだ。

きっかけは娘のこっちゅんを抱っこするのがだんだんしんどくなってきたことだった。こっちゅんは2歳半。まだまだ抱っこをせがんでくる。でも彼女の体重は12キロ…お米の袋を抱きかかえて歩き回るには私に筋力がなさ過ぎる。

実はしばらく前から体重計とスマホを同期して、毎日の増減を記録するようになった。しかも最近の体重計はよくできていて、それに乗るだけで体重だけでなく皮下脂肪、骨量、筋肉量などもわかる。そのデータを見ながら、ずっと気になることがあった。私の筋肉量は標準より1キロも少ないのだ。

これはまずい。

高齢での出産だったため、まだまだ子育てには筋肉が必要だ。しかしこのままだと、こっちゅんを抱っこしてあげられなくなる。ふと気になって夫に筋肉量を尋ねると、予想通り夫も標準よりマイナス。そう、私たちはともに読書が趣味の文系夫婦なのだ。夫はずり落ちた眼鏡を人差し指であげながら

「でも筋トレっていうキャラじゃないしなあ」

と呟いている。

いやいや…キャラどうこうという場合ではない。かわいい子どもをまだまだ抱き上げてあげるためには筋肉をつけるしかないのだ!

そして私は決心した。体を鍛えようと。

それから毎日YouTubeを見て、固まりきった体をほぐすヨガと10分からのワークアウトをはじめてみた。最初は自分の体の硬さに愕然とし、プランクの1分が永遠かと思うほど長く感じられたが、終わってみると心地良い疲労感と体だけで無く頭もスッキリしている。

更に驚いたのは気持ちの変化だ。更年期が近い影響なのか、梅雨だからなのか、最近落ち込むことも多く、ふと不安になったり、ささいなことでくよくよと気にするようになっていた。しかし、ヨガと筋トレをはじめてからというもの、それが劇的に改善されたのだ。

これはどうしたことだろうか。

そう思ってスマホで調べてみると、こういうことがわかった。人間の脳は不安になると、その不安を解決するために何か行動を起こさなければと考えるらしい。しかし、不安が生まれたときに何かしらの行動、つまり体を動かすことをしなければ、脳は「考える」ことを行動と捉え、ぐるぐるぐるぐると頭をフル回転させ、不安について考え込み、どんどん思い詰めてしまう。特に夜、布団に入ったときなど、すぐに行動を起こすような状況ではないときに不安について考えはじめてしまうと、どんどん深みにハマってしまうというのだ。

なるほど、と私は合点がいった。毎日体を動かすことは行動を起こすことであり、行動したことが自分の自信や達成感につながる。それまでの私は家事と育児しかしていない毎日の暮らしに達成感が感じられず、悶々とした感情を抱えることが多かった。

ところがこうして体を動かすようになってから、料理も新しいメニューに挑戦してみようとか、ブログを書いてみようというという次なる行動につながっている。こういう自分は久し振りだし、我ながらとても好きな姿でもある。

張り切って購入したヨガレギンスには厳然と下っ腹が乗っかるが、いつかこいつを無くしてやるというささやかな目標もできた。愛するこっちゅんをしっかり受け止めるために、母は強くなる。気持ちも体も。筋肉は裏切らない、だ。

 

 

 

梅と勇気と好奇心


部屋中に良い香りが広がる。

梅雨が近くなるとジメジメするし、大好きな星を見上げることもできなくなるけど、基本的に私は雨が好き。それは以前このブログでも書いたことだが、雨の音を聞いていると心が落ち着き、静けさを感じるからだ。

そんな梅雨の季節になると楽しみにしていることがある。それは「梅仕事」だ。

日頃は家事育児に追われている私も、梅仕事をしているときは何となく「丁寧な暮らし」を楽しんでいる気分になれる。丁寧に梅を洗い、丁寧に拭き、丁寧にへたを取り…そして作るのは家族みんなから毎年強力な指示を集めている梅シロップ。これさえあればどんなジメジメした日も、暑くて体力が奪われる日も乗り越えることができるわが家にとっての必需品。もはやこれがない夏など考えられない。

今日はその梅シロップを作るために凍らせた梅と氷砂糖を交互に瓶に詰める作業をしている。2歳半の娘はその様子がおもしろいようで、「こっちゅんもやる!」と梅に手を伸ばしては、その冷たさに驚いていちいち楽しそうだ。

「まま、冷たいね」

「まま、かたいね」

そんな感じたままの感想を言葉にするこっちゅん。

たかだかまだ2年半しかこの地球で過ごしていないこっちゅんにとって、何もかもが新鮮で、何もかもが楽しくてたまらないのだ。

そう考えるとちょっとうらやましい気持ちになった。

とは言え、私は地球のことをどれくらい知っているのか。40年生きてきたけど、行ったことのある場所を数えるほうが圧倒的に楽だし、大した経験もない。今は日常に埋没しているだけで、知らないこと、未経験のことなんてガンジス川のほとりの砂粒ほどにあるはずだ。

新しいことに挑戦するというのはいつだって少しだけ勇気がいる。

その勇気をだすかださないかは、それに対しての好奇心の大きさが決め手となる。

自分の中に生まれた好奇心の芽。それを自分で摘み取ることはとてもたやすい。しかし、その芽を育てていくと、まだ自分も知らない自分に出会えるかもしれない。

いくつになっても好奇心の芽を育てられる人でありたい。ところで今、私が気になっていることは一体なんだろう。

梅の香りに包まれて、ぼんやり思索する。そんな雨の日の昼下がりもいいものだ。

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