弟からかぼすが届いた。
私の実家は小さな小さな田舎町で、学校行事も農繁期は避けて行われるほど農業が盛んだ。最近はさすがに気をつけるようになったが、幼い頃は両親が家にいなくても鍵はかかっておらず、季節ごとにいろんな野菜や果物が玄関に置かれていた。だからかぼすも買う必要はなく、時季が来ると玄関に置かれているもの、という印象がある。もちろんそれは商品として出荷出来なかったものなので、形が美しくなかったり、黄色がかったりしているのだがそんなことを気に留めたことはなかった。
私の地元では何にでもかぼすをかける。味噌汁、お鍋、焼き魚、ヨーグルト、もちろんゼリーやパウンドケーキなどのお菓子にもなる。かぼすをかけるだけで風味が増し、何でも美味しく食べられるので、食欲がない時は重宝する。大切なのは果汁であって見た目は関係ないのだ。
でも弟から届いたかぼすは、まんまるに整っており、色は美しく深い真緑色をしていた。
こんなに美しいかぼすをもらうことはほとんどない。だから私はお礼も兼ねて弟に電話し、このかぼすはどうしたのかと尋ねてみた。
弟は地元の郵便局で働いているのだが、お客さんである高齢の方から「知人にかぼすを送るために手を貸してほしい」と頼まれたそうだ。その方は足が悪く遠出が難しいので、これまでも弟が配達に行ったついでに家の電球交換をしたりと御用聞きをおこなっているとのことだった。
田舎だからかもしれないが、人間関係の近さに加え、仕事の範疇を越えてお手伝いをする弟の姿を思い浮かべながら感心した。弟は昔からそういうところがある。困っている人を放って置けないのだ。つまり私に送られてきた美しいかぼすは、その方に頼まれた「ついで」だという。
「ついでねえ」と私が笑うと「ついでっち言ったら悪いんやけどな」と方言丸出しで弟も笑った。
電話を切った後に弟のことを考えながら、ふと甘さを加えたかぼすゼリーが食べたくなった。
自由に東京の大学に行き、その後も好きなことを仕事にして都会で働いていた私とは対照的に、自分のやりたいことを胸に抱えながらも弟は今も両親のすぐ近くに住んでいる。酔った時は「そんな自分が嫌になる」と愚痴りながら。
コロナが落ち着いたらそんな弟とゆっくり話したい。
好きな音楽のこと、本のこと、これからのこと。
今日の私が暮らしの中で愛しいと感じたもの。
それは弟の優しさを感じる美しい真緑色のかぼす。
甘酸っぱいゼリーを作ってゆっくりと味わおうと思う。