愛しの暮らし

子育て・犬育て・自分育て。暮らしのなかにある愛しいものを綴っています。

マダムの優しさ


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やってしまった。

 

後でつけようと思っていたのだ。それなのにやっぱり忘れてそのまま買い物に出かけてしまった。

 

子連れで外出する前は忙しい。自分の準備もほどほどに、子どもを抱えて飛び出していく。今日もそんな感じでバタバタと玄関をあとにした。

 

そのマダムに「背中のボタンが外れていますよ」と声をかけられるまで、私は何カ所か立ち寄っていた。インフォメーションセンターでベビーカーを借り、眼科で目薬ももらった。でもその間、誰も私の背中のボタンが外れていることを指摘する人はいなかった。

 

通りすがりのそのマダムはわざわざ私を追いかけてきて、少し申し訳なさそうに「あの…」と声をかけてくれた。そして背中のボタンが外れていることを指摘してくれたとき、私が「ありがとうございます、全然気付きませんでした…」というと「私もよくやっちゃうのよ」と明るく笑い、娘と繋いでいる私の手を見て「触れてよければ留めますよ」と言ってくれた。

 

コロナ禍で接触に気を使う今だからこそ、あえてそう言ってくれたのだろう。そしてその前に「私もよくやっちゃうのよ」と笑顔を見せてくれたことが、私の心を少し軽くしてくれた。

 

別れ際、丁寧にお礼を言うと「ママは自分のことが後回しになっちゃうもんね。体に気をつけてね」と更に優しい声をかけてくれた。

 

その瞬間、鼻の奥がツンとした。

いつぶりだろう、他人とこんなふうに話をするのは。

 

接触を避けるようになった昨今、他人との不必要な会話などほとんどない。

育児中の私が話をするのはもっぱら家族ばかりだ。

 

他の人たちも「あの人ボタンが開いてる」と思いながらも、こういう時代だからこそ、声をかけるのを自粛したのかもしれない。

 

しかしそのマダムは、ボタンが外れたまま歩く私のことを放っておけずに追いかけてくれたのだ。

 

私はその優しさに目頭が熱くなるのを感じた。

 

私もこうでありたい、と思う。

 

声をかけるのは勇気がいるし、どんな反応をされるかもわからないけど、やはり他人にも「優しい人」でありたいと思うのだ。

 

そのマダムのおかげで私の心があたたかくなったように、私も誰かの心をあたたかくできる存在でありたい。そうすることで、自分も救われるような気がする。

 

今日の私が暮らしの中で愛しいと感じたもの。

それは背中のボタンを留めてくれたマダムのような優しさ。

こういう時代だからこそ、いっそう心にしみてくるようだ。