愛しの暮らし

子育て・犬育て・自分育て。暮らしのなかにある愛しいものを綴っています。

手を止める


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先日、テレビをみていたら「仲の良い親子特集」という企画に雅楽師東儀秀樹さんとその息子さんが出演されていた。お2人は好きな音楽や服の趣味まで似ており、友人のような親子関係だという。

「友人のような親子関係」とはよく耳にする言葉だが、実際は難しい。それは親が一方的に思っているだけでは成立せず、どこまでも子どもが親を信頼して初めて成り立つ関係だからだ。そういう関係を築けるかどうかは、親の姿勢にかかっている。

東儀秀樹さんは子どもが「パパ、あのね」と自分のもとにやってきたとき、何をしていてもとにかく一度手を止めて子どもの話を聞いたそうだ。「子どもに“今忙しいから後でね”と言っても、後で話してくれるかはわからない。タイミングを逃したら、永遠に子どもの胸の中にしまわれたままになってしまうかもしれない。だからその時にちゃんと向き合うようにしたんです」と語っていた。

その話を聞きながら、私はいたく反省した。自分はどうだ。「ちょっと待ってね」「少し後でね」なんて一日に何度口にしているかわからない。確かに私のその言葉を聞いたこっちゅんは、私のもとへ駆け寄ってきた時よりあきらかにシュンとして立ち尽くすことが多い。もちろん私だって大慌てで用事を終わらせ「待たせてごめんね」と寄っていくものの、やはりこっちゅんのテンションは下がってしまっている。

四六時中子どもと向き合い続けるのは難しい。でも「まま、あのね」とこっちゅんが来たときはこっちゅんの言葉を大切にすべきではなかったか。この地球に生まれてたった3年の小さな心。わからないことや不安なことばかりで当然だ。そんな心の唯一の拠り所が親だ。今、その小さな心は親への全幅の信頼で満たされている。それを関わり方次第で保つも減すも親自身にかかっているのだ。

今朝、こっちゅんがおもらしをしてしまった。通園前のいちばん忙しい時で、「何で今なの!」と声に出そうだった。そんなこと言ってもおしっこがもとに戻るわけではない。それに失敗して気落ちしているのはこっちゅんのほうだ。現に表情が落ち込んでいる。いつもの私なら、感情的になっていたかもしれない。でもこっちゅんの気持ちをいちばんに考えようと思った。膝を付き、服を脱がせながら「冷たかったね」とひとこと言った。するとこっちゅんが私の首をギュッと抱きしめて、その小さな手で私の背中をとんとんとんと3回優しく叩いた。こっちゅんが悲しいとき、落ち込んでいるときに私がする仕草。こっちゅんは自分のおもらしによって、私が落ち込んでいると思ったのだろう。と同時に、慰めようとしてくれたのだ。

子どもは親をしっかり見ている。それは時として、親が子どもを見る以上かもしれない。せわしなく動く親に振り向いてほしくて、じっと様子を伺い、笑顔を向けてほしいと願っている。自分はそんな子どもの心に気付いていたのだろうか。

これからはこっちゅんがやってきたとき、とにかく一度手を止めよう。そして向き合おう。こっちゅんの私に対しての信頼がこのまま満たされ続けていくように。