愛しの暮らし

子育て・犬育て・自分育て。暮らしのなかにある愛しいものを綴っています。

地獄のトイトレ

暑くなってきたのでいよいよ開始しようと決意したことがある。こっちゅんのトイレトレーニング、略してトイトレだ。

こっちゅんは朝起きてすぐにトイレに連れて行くと、すぐにチッチをしてくれるようになったので、「時が来たり!」と今週の月曜日からおむつをトレーニングパンツに履き替えチャレンジを開始した。

選んだパンツは大好きなスヌーピーのパンツ。トイトレは地獄と聞いていたので、お互いにテンションが上がるように選んだものだ。

「こっちゅん、今日からスヌーピーのパンツを履いてみようか!」

「うん!こっちゅん、すぬーぴーにする!」

嬉しそうにパンツを手にし、履き始めたこっちゅん。朝のチッチの時間をチェックし、1時間後にもう一度トイレに誘って見ることにした。

そして迎えた1時間後。こっちゅんにトイレを促すと、嫌がることもなく、スッと行ってくれ、驚いたことにチッチに成功!わが子はもしかしたらチッチの天才かもしれないと狂喜乱舞する私。

「やったね、こっちゅん!出たね!」

「うん!でた!!」

笑顔いっぱいでハイタッチする私とこっちゅん。しかし喜びはここまでだった。

「こっちゅん、トイレ行こうか」

同じく1時間後にトイレに誘った私。ところがこっちゅんはまだ出ないと言う。じゃあまあいっか、さっきもしたし5分後にもう一度誘ってみようと家事に戻る。ところがその2分後…

「うわあ~!ままあ!!ままあ!!!」

叫ぶこっちゅんの声に慌てて振り向くと、こっちゅんの足下に水たまりが…

「あんよがあ~あんよがぬれたあああ!」

滝のごとく流れるチッチに半泣きになるこっちゅん。

「あ~…こっちゅん、さっきトイレに行けば良かったね。次はトイレでできたらいいね」

失敗したか…とがっかりする気持ちを抑えながら、私はネットで見たとおり、声を荒らげること無く、極めて優しく振る舞った。

しかしそれが2度、3度、4度と繰り返すうちにクッションやらラグやら洗濯機に入れないくらい染みつきのものが増え、何度も何度も床の掃除を繰り返していくうちに、ついに私は耐えきれなくなった。失敗したこっちゅんに

「また失敗しちゃったの?!」

「なんでわからないの!チッチはお部屋でしないって言ったでしょ!」

「こっちゅんもさっきわかったって言ってたじゃん!」

「ママが何度もお掃除すると、こっちゅんと遊ぶ時間も無くなるんだよ!」

言ってもわからない…と頭のどこかでわかっているのだが、こっちゅんを立て続けて責めてしまった。

トイレトレーニングって、本当に地獄…

なんで私は一日中、チッチの後片付けばかりやらなきゃいけないの…

ほかにもやりたいことはいっぱいあるのに何で私だけ…

心の中に灰色の感情がむくむくとわき起こり続け、止まらない。泣きながら丸まって眠ってしまったこっちゅんを見てもイライラはおさまらなかった。

何もする気が起きずソファーに座った私は、手に持ったスマホで「トイトレ 地獄」と検索してみた。今私が抱えている気持ちと同じものを抱いている誰かと共感したかったのだ。

私はさんざん育児の大変さを綴った多くの人の言葉を読み、少しずつ平静を取り戻していった。そして最後に開いたのが「育児に疲れたお母さんに贈る詩」と書かれた文章だった。

ママの毎日

独身の頃
 
ヒールの靴が好きだった
お酒は苦手だったけれど友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった
 
好きな音楽はミスチルでいつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた
電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった
 
お風呂では半身浴をして
美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていた
 
お化粧するのも好きだった
1人で行く映画館が好きだった
 
流行りの雑誌を買い
流行りの曲を聴き
流行りの服を着て
流行りの場所へ好きな時に出かけた。

そんな私は 今
 
 
泥だらけのスニーカーを履き
 
子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけ
 
ちゃんとした化粧もせずに
 
髪を一つにくくり
 
毎日
子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。
 
 
 
聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。
 
 
眺めているのはファッション雑誌から
子どもの母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。

考えていることは
今日の夕飯のメニューと
長女が幼稚園から帰ってきたあとのおやつ、お風呂、夕飯の流れの確認。
 
今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと
明日の長女の遠足が晴れるかどうか。
 
最近眠くなると激しくぐずる長男を昨日つい怒ってしまったから
今日は早く寝かせてあげよう。
今日は怒らないでおやすみをしよう。
 
そんなこと。

毎日 押し流されるように迫ってくる日常があるから
 
キレイに片付いた部屋も
大の字で朝まで眠れる夜も
ゆっくり塗れるマスカラも
 
なんだかもう思い出せない。
 
 
 
そう。
 
 
 
思い出せないから
 
私たちは つい 忘れてしまうのだ。

この毎日が
 
ずっと続かないということを。

1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら
 
 
湯船の中 あなたと向き合い数を数え
 
柔らかく響いたあなたの声を
 
 
私は思い出すのでしょう

1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら
 
 
どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを
 
私は探すのでしょう

好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら
 
 
この部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して
 
私は泣くのでしょう

好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら
 
 
私の洋服をひっぱり
膝の上によじ登り
私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して
 
私は泣くのでしょう

好きなだけヒールが履けるようになったら
 
 
笑い転げるあなたを追いかけて走り回り
泥だらけになって遊んだあの空を思い出して
 
私は泣くのでしょう

自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら
 
 
砂まみれの靴下も
おしっこを失敗したズボンも
牛乳をひっくり返したシャツも
 
洗濯カゴにないことを知って
 
 
私は泣くのでしょう

あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら
 
 
粉々になったビスケットの食べこぼしも
小さなおもちゃの部品も
あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り
 
 
私は泣くのでしょう

1人で好きなことを
好きな時に
好きなだけ出来るようになったら
 
 
どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び
 
どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して
 
 
私は泣くのでしょう

一体いつまであるのかな
 
 
一体 いつまでここにいてくれるのかな
 
 
そして
 
そんなことを考えているうちに
 
 
 
また 今日も終わってしまった。

私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから
 
子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて
 
好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど

でも 自分の人生を考えてみたら
 
 
特別なのは
 
 
本当は 子どもが側に生きているこの毎日の方。

でも 私たちはそれを忘れてしまう。

なんだか ずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど
 
 
 
大変に思えるこの毎日に
 
数えきれない 愛しい が散りばめられていることを
 
私たちは いつか知るのです。

子どもたちが
 
この世に生まれてから今日まで
 
ママとパパのために
全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに
 
私たちは 過ぎてから気付くのです。

ママの毎日は
 
ママでいられる毎日です。

 
 
私たちは この命が尽きるまで
 
どんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、愛し続ける 子どもたちの母親だけれど
 
 
でも 子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日の
 
なんて短いことかを
 
 
いつか思い知るのでしょう。

今日もあなたは
 
屈託のない笑顔で振り向き
 
「ママ!」と言って
 
両手を広げて こちらに飛び込んでくる。

忘れるものか。
 
 
絶対に。
 
絶対に。

あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。
 
あなたを怒って自分に涙が出た今日を。
 
あなたの寝相に笑った夜を。
 
あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。
 
 
あなたに許された私を。
 
あなたがいてくれるこの毎日を。

私は 絶対に忘れない。

ミスチルも好きだけど
 
Eテレの歌に感動することを知った
 
 
ヒールも好きだけど
 
スニーカーの安心感が好きになった

自分のことが一番大切だった
 
 
そんな私に
 
自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた子どもたちに  
 
 
 
 
心から 感謝を。

 

 

号泣した。

そもそもこんなに涙を流すことすら久し振りかもしれないと思いながら、涙が溢れる度に自分の中にあった灰色の気持ちが洗い流されていくようだった。

「こっちゅん、ママが悪かったね。ごめんね…」

そもそもトイトレを始めたのは、上手くトイレに行けるようになったというお友だちの話を聞いたからだった。こっちゅんにも早くできるようにさせてあげなきゃと私はどこかで焦っていたのだ。それは本当にこっちゅんのためだったのか、それとも「できていない親」と思われたくなかったのか。

目を覚ましたこっちゅんに近づくとそっとこっちゅんを抱きしめて謝った。

「こっちゅん、強く言ってごめんね。ママが悪かったね。チッチができるようにゆっくりがんばろうね」

そう言うとこっちゅんは、小さな手を伸ばして、私の背中を優しく「とん、とん、とん」としてくれた。まるで私を許すかのように、そして安心させるかのように。

「育児」は「育自」とはよく言ったものだ。

変わるべきは私の心だと教えられたような出来事だった。

「こっちゅん、どっちのパンツをはきたい?」

スヌーピーの別のパンツと白い紙おむつを持ちこっちゅんに選ばせると、しばらく「うーん」と考えてこっちゅんは答えた。

「まだこっち!」

「そうだよね、やっぱり」

苦笑いをして、私は紙おむつをはくこっちゅんの安心した表情を見つめた。

 

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