愛しの暮らし

子育て・犬育て・自分育て。暮らしのなかにある愛しいものを綴っています。

辻仁成さんの文章教室


Design Storiesというサイトを知っているという方も多いだろう。

www.designstoriesinc.com

 

芥川賞作家の辻仁成さんが主催しているこのサイト。毎日更新されており、ヨーロッパの最新情報や辻さんが日々の暮らしの中で感じる子育て、犬育てなどについて綴られているブログだ。私は「育児」を検索しているときにこのサイトに出会い、それからというもの、面白すぎて毎日欠かさずに読んでいる。

辻さんはとても多彩で話が面白く、その文章にはついつい引き込まれる。ニヤッとしたり、考えさせられたり、ちょっと切なくなったり。毎日読んでいても決して飽きることがないどころか、読む度にそこに登場してくる辻さんの知り合いがあたかも自分の知り合いかのように感じられ、親近感がわいてくる。

そんな辻さんがエッセイの書き方についての文章教室をオンラインで開催するという情報を目にした私は、芥川賞作家の話を聞いてみたいとの興味本位から参加してみることにした。しかも希望者はテーマに沿った1500字程度のエッセイを書いて提出すると、全て辻さんが読んでくれるという。こんな貴重な機会はない!色めき立った私はその時のテーマだった「最近買ったもの」について書き提出をした。

そして待ちに待ったオンライン文章教室の日。辻さんは参加者が提出したものの中から3つのエッセイを紹介しながらコメントを加えていく。その内容は伏せるが、文章を書くことが好きな私としては、一言も聞き逃せないほど為になる内容で、あっという間のひとときだった。

辻さんが私の文章にアドバイスしてくれるかもしれない!

そう思うといても立ってもいられない。その日早速発表された次なるテーマ「人生最大の失敗」について頭の中であれこれ巡らすことにした。

人生最大の失敗は多々ある。その中でも私が忘れられない失敗は高校時代に大好きな先生の前でcareerの発音を思いっきり「カレー」と言ったものだった。その瞬間、クラス中の笑い声が爆発し、私のあだ名は「カレー子」になった。それは人生最大というほどのものではなく、ほかから見れば大したことのない失敗だが、私の中には恋愛感情も織り交ざり、何年経ってもどうしてあんなことを言ってしまったのか(冷静になれば答えはわかっていたのに)という苦々しい思い出と体中が火照るような恥ずかしさがカレーの香りを嗅ぐだけでありありと思い出されてしまうのだ。

私は失敗としては弱いけれどもこのテーマで書いてみようと思った。

そして文章教室の前日、参加者宛の連絡の中に、私が書いたエッセイが参考作品として入っていた!!!

誤解することがないように書いておくが、それは決して優秀だからというわけではなく、あくまでも「参考」のための作品だ。けれど、そこに選ばれた以上は私の作品を扱ってくれるということ。辻さんが直接アドバイスをくれる!私はうれしくてうれしくて、一人でガッツポーズをした。

しかしハッピーな気持ちはここまでだった。

今回は「合評」というシステムで参考作品について参加者が批評を加えていくシステムがとられた。すると出るわ出るわ、厳しいご意見が。私は脇にじっとりと汗をかきながら、耳を塞ぎたい、いやチャットなので目を閉じたいような気持ちになった。時折好評はあるものの、自分に刺さるのは厳しいものばかり。でもどれも否定できないもので、自分としても反省すべき点が多かった。

天国から地獄へ落とされたような気持ちになりながらも、私は2つのことに気付いた。

文章を書くということは覚悟がいるということ。

それは批評される覚悟であり、自分の心の内までさらけ出す覚悟。

そしてもうひとつは、上達するためにはそれでも書き続けなければいけないということだ。

私にはその覚悟があるのか。こういったブログでも少なくとも私の文章を読んでくれる人がいる。その人たちに自分の中にあるものを全て見せていけるのか。どこか模範的な人間でありたいと思っ生きてきた自分の仮面を剥ぐことができるのか。

しかしそこに今から挑戦していかねばと思っている。

覚悟と勇気。そして書くということから逃げずに、行けるところまで。

 

 

 

週に3時間の癒やし

絶賛イヤイヤ期の娘・こっちゅん。

最近、週に1回だけ、しかも午前中の3時間のみという幼稚園のコースに行き始めた。入園初日の様子を先生に聞くと「前から通っているような子の貫禄で遊んでいた」と言うから頼もしい。

思えばこっちゅん、生まれたときから大臣のような風格でベビーベッドに寝転がり、バウンサーに揺られていた。肝が据わっているタイプというかなんというか、動物に対してもすぐ手を出すし、少し人見知りはするものの、なじんでくれば自分の持っているおもちゃをどんどんプレゼントするような気前の良さも持っている。

そんなこっちゅんのぽこんとしたおなかも、上を向いて爆笑する姿も親としてはかわいくてたまらないのだが、イヤイヤが発動するととてつもなくしんどい。おむつ替えもイヤ、おでかけもイヤ、ごはんもイヤ、なのにお菓子は食べる…という有様でまったくこちらが振り回されてしまうのだ。しかもわが家は転勤族。誰かに子どもを預けたくてもなかなかそうはいかない。つまり、こっちゅんが起きてから寝るまで、私たちはずっと一緒。となると先に音を上げるのは当然ながら私のほうだ。

だからたった3時間でも登園日が待ち遠しい。その日は私が「やっと自由を手に入れたぞ!!」と大声で叫びガッツポーズができる唯一の日だからだ。

一人でスーパーに行ける!

Tシャツを引っ張られずに料理ができる!

おもちゃの電子音が鳴らない静かな時間を過ごせる!

そんな些細なことが素晴らしく、歓びに心が沸き立つ。毎日眺めている庭の木の葉さえ、いつも以上に輝いているような気がして私は思わず目を細める。いつもなら両目を大きく開いて隈なく見ておかないと、こっちゅんが何をするかわからない。油断も隙もないのだ。

嗚呼、そんな癒やしの3時間が明日!明日やってくる!!

何をしようかな。

日頃は妻と母をがんばっているからこそ、この3時間は自分のためだけに使ってやる!

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朝夕の家族散歩


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毎日、朝と夕方の2回、家族全員でお散歩をするのが日課だ。

 

子どもを乗せたベビーカーは夫が押し、私はアポロのリードを引く。夫が仕事で遅くなる時以外はこのスタイルだ。

 

これがけっこうわが家には合っている。

 

私も夫もどちらかと言えば朝が苦手だ。でもアポロを家族に迎えてからは散歩をしないといけないので、早起きしようと決意した。はじめは私だけが散歩に連れて行っていたが、夫もいつまでも寝ているというのはどうも気が引けるらしく、ある時から一緒に起きて行くようになった。そのスタイルに子どもが加わり、結果的に家族全員で歩いているというわけだ。

 

散歩の時間は40分程度だが、歩きながら四季の移ろいを感じたり、子どもが思わぬものに興味をしめしたりといろんな発見がある。みんなであれこれと話しをしながら歩くのはとても楽しく、癒やしの時間だ。

 

できれば子どもが大きくなってからも、この習慣は続けていきたい。テレビやスマホと距離を置いて自然を感じたり、会話を楽しんだりする時間は心が豊かになるような気がするからだ。

 

朝も夕も涼しくなり、お散歩にちょうどいい季節になった。おかげでこれまでより長く歩けそうだ。

 

近所にあるいちょうの木がいつ紅葉をはじめるか楽しみに観察しながら、明日もみんなでゆっくりお散歩を楽しもう。

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海の見える風景


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家から15分ほど車を走らせると、海が見える。

そこにある公園は、アポロもお気に入りのお散歩場所だ。

 

今日はとても天気が良かったので、車を走らせてその海辺の公園まで行ってみた。

潮の香り。

どこまでも続く青い空と海。

あまりに爽やかな風景がまぶしくて思わず目を細めた。

 

幼い子どもと犬をつれていると、よく話しかけられる。今日も年配のご夫婦に「あら、どっちもかわいい!」と声をかけられた。

 

「私たちも犬を飼ってたんですよ。でももう年齢的に飼えなくて。犬をひとりぼっちにしたらかわいそうだから…」

そういうとご主人はしゃがんで、アポロのお尻あたりを優しく触った。

「わんちゃんも子どもさんもいてママは大変だろうけど、二人は幸せそうな顔をしてるわねえ。ママとお散歩できるのが嬉しいのね。」

奥様はニッコリと笑って「じゃあまたね」と子どもにもアポロにも手を振り、その手を当たり前のようにご主人の腕に絡めてお二人は去っていった。

 

腕を組み、時折見つめ合いながら歩く後ろ姿のあまりのステキさに、私はしばらく見とれていた。

 

お二人の間に流れる穏やかな雰囲気。こんな風に歳を重ねたいと思わずにはいられなかった。

 

深く信頼しあい、いろんなことを対話で乗り越えてきたに違いない。勝手な想像だが、苦も楽も分かちあってきた「深み」のようなものを感じた。

 

私は生涯を共にする相手を選ぶ際、唯一大切にしたことがある。それは「生涯対話できる相手」かどうかという点だ。

 

生活がはじまれば綺麗事ではすまされない。子どものこと、お金のこと、仕事のことなど、例え行き詰まったとしても「対話」が滞らなければ解決の糸口は必ず見える。そう信じて今の夫と結婚した。今のところ私のその思いは間違っていなかったように思う。

 

今日の私が暮らしの中で見つけた「幸せな光景」。それは腕を組んで歩く姿があまりにステキなご夫婦。

 

何年後かわからないが、私たちもそうなりたいと思うほど、お二人のあいだには信頼と穏やかさが漂っていた。

てしごと


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何かに集中できる時間が好きだ。

 

例えば刺繍。

出来上がりを想像しながらチクチクと針を進めていくのが楽しい。と言っても、去年から始めたばかりなので大して上手ではないが、家事がひと段落したあと、好きな音楽やラジオを聴きながらチクチクするひとときは、1日の中でも無心になれる貴重な時間だ。

 

そうやって少しずつゆっくり作っていた刺繍入りのがま口が今日完成した。春先に作り始めた時は、梅雨頃には完成するだろうと思っていたので、色とりどりの小さな花が集まったアジサイのイメージでデザインした。それなのに、季節はもう落ち葉舞う秋。ギンガムチェックの布も夏仕様だったので、少し寒々しい。

 

でもこうやって完成したがま口を見るとやっぱり嬉しくなる。季節はずれの柄だが、せっかくなので冬になっても使おうと思う。

 

手作りのものは少々うまくいかなくても、自分にとってとても愛おしい逸品になる。そこにかけた時間も含めて、自分にしかわからない「価値」が生まれるのだ。

 

だからこのがま口の中にも、金色の美しい小さなミラーや好きな香りのハンドクリームなど、お気に入りの品々を入れようと思う。気持ちが落ち込んだ時に手にするお守り袋にもなるように、好きなものだけを入れるのだ。

 

今日の私が暮らしの中で感じた愛しいひととき。

それは春に作り始めた刺繍入りのがま口が完成した瞬間。

たどたどしい仕上がりだが、世界にひとつしかない、オリジナルの作品だ。

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ねんねのじかん


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もうすぐ2歳になる娘。

 

お昼寝の時に私が「ねんねのじかんだよ」と言いながらブランケットをかけるのを見ていて学習したらしく、最近ではお気に入りのぬいぐるみを寝かせては「ねんね」と言ってブランケットをかけている。

 

今日もお昼ごはんのあとにウトウトしている娘を、いつも通りお昼寝マットに移動させ、「ねんねのじかんだよ」と言ってブランケットをかけ、私も添い寝した。

 

昨日少し寝不足だったからだろう。気づいたら私も寝てしまったようだ。体を起こすと積み木で遊ぶ娘の姿と、私にかけられたブランケットに気がついた。

 

娘が寝たら起きて家事をするつもりだったので、私は自分の体にブランケットをかけてはいない。

 

つまり、娘が眠ってしまった私にかけてくれたのだ!

 

これには驚いた。

 

と同時に愛しさが込み上げ「これ、かけてくれたんだね」と言って両手を広げると、これまた私がいつも言うように「おきた?」と言いながら抱きついてきた。

 

こんなに、こんなにちっちゃい娘が、隣で眠る私に自分のブランケットをかけてくれたと思ったら、たまらなくなった。

 

「いいこだね」「優しいね」と何度も頭を撫でて抱きしめる私を娘は不思議そうに見ていたが、ニコッと笑うと「じゃあ、あそぶ?」と立ち上がった。

 

子どもの成長には本当に驚かされる。

こないだまでお腹にいて、私の手がなければ何もできなかったのに。

 

今日の私が感じた幸せな出来事。

それは娘からもらった小さなあたたかさ。

この気持ち、この愛しさをずっとずっと大切にしよう。

 

 

 

 

ざくろと祖母の思い出


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夕暮れ時にアポロを連れて散歩をしていると、ざくろの実がなっているのを見つけた。

 

ざくろといえば祖母との思い出がある。

 

大学を卒業してすぐ教育者として働いていた私は、理想と違う現実を突きつけられ、日々もがきながら必死で毎日をやり過ごしていた。

 

実家に帰るたびに疲れた顔をしている私を案じた祖母が、一人暮らしをする私の家に1ヶ月間きてくれることになった。突然、祖母との2人暮らしが始まったのだ。

 

とはいえ私は、幼い頃からおばあちゃん子だったので、むしろ大歓迎だった。仕事から帰った私を待っていたのは、祖母が作る素朴な料理とざくろジュース。どちらも口にしただけで泣きたくなるほど安心する味だった。とくにざくろジュースは、1日の忙しさを吹き飛ばしてくれるような甘酸っぱさだった。そのジュースを飲みながら祖母といろんな話をした。というより、祖母はいつもニコニコして私の話を聞いてくれ、何を話しても私の味方だった。

 

「おばあちゃんは、あこちゃんの話をずっと聞いていたいわあ」とニコニコしながらよく言ってくれていた祖母。その祖母も今ではすっかり私のことがわからなくなり、施設に入っている。

 

でも私は折りに触れて祖母のことを思い出す。優しい祖母の笑顔や、あったかい手や、小さくて丸い背中。そしてこの季節になるとよく作ってくれていたざくろジュース。

 

散歩の途中で見つけたざくろを見ながら思った。

どうしてあのジュースの作り方を教わっておかなかったんだろう、と。魚の裁き方も、編み物もなんでも上手だった祖母。その存在が当たり前すぎた。まさか「うちのおばあちゃん」に限って、私のことがわからなくなるなんて思いもしなかった。

 

今年は私がざくろジュースを作ってみようかな。

それを祖母に飲んでもらったら私のことを思い出してくれないかな。

 

大好きなおばあちゃん。

おばあちゃんのひ孫は、もうすぐ2歳になるんだよ。

 

今日の私が暮らしの中で愛しいと感じたもの。

それは散歩の途中で見かけたざくろの実。

祖母の優しさを思い出し、甘酸っぱい気持ちを抱きしめた夕暮れ時だった。